いつまで残ってくれるだろう、どれくらい覚えていれるだろう


2月からコダックのフィルムがまた値上げする。今より3〜5割程上がるようで、ますますフィルムユーザーは厳しい選択を迫られることになる。


まだカメラを始めて数年、この数年だけでも多くのフィルムが姿を消し、高価なものになった。


きっとまた数年後にはあの頃はまだ良かったなんて思っているんだろう。



撮るという行為に対する考えは人それぞれだが、記録性というのは写真にとってはとても重要なことだと思う。しかし、それももうじき終焉を迎えるかもしれない。


聞くところによると、これからは記録は映像へ変わっていくそうだ。


写真がデジタル化しその場をシェアするモノに変わり、芸術性はなくなり記録を記録として遺していくことは難しくなった。

 そもそも、記録として収蔵されるのはごく一部の有名な写真家であって、多くの写真は埋もれていくものだそうだ。(この話には続きがあるがそれはまた別の機会に)


それでも、何かできることはないかと思ってしまう。


デジタル世代の自分が、便利さだけではないそれを選んだ意味とは???


先日、いつもお世話になっているプロラボの方の話を聞く機会があった。


上記の内容もそこで聞いた話なのだが。


だけれど、その方が話の最後で言った言葉が強く印象に残っている。



ーそれでもフィルムやアナログなものが好きなんです。最後のフィルム現像所になるまで続けたいと思っています。



この言葉の持つ力はすごい。経験と技術に裏打ちされた方の覚悟だ。


そんな方の近くで写真を撮り、プリントしてもらえるなんてどんなに幸せなことだろうか。願わくば、その最後の現像所の最後のお客の一人になれるまで写真を続けられたらと思う。


そんなプロラボさんの話をアルバスのプリンター、まりっぺに話をしたら今にも泣きそうな顔して、その表情にまたグッときたのである。


きっと彼女も強い思いがあって写真の仕事をしているのだろう、人の想いを形にする仕事って何とも素敵だな、と思う。


フィルムが高くなろうが、周りの変化に流されそうでも、そんな人たちとこれからも関われるならばそれは贅沢なのだろう。


表現とか難しいことは置いておいて、写真はそんな日々を、そんな人たちとのやりとりを、自身の記録としていつか埋もれててしまうとしても遺していこうと強く思った。